099/210 xxx01234 島原の長い夜

( 6) 91/06/04 04:46 コメント数:2

  遥かな昔、イタリアのポンペイで起こったと言われる

  悲劇の縮図が島原市に現れた。

  私は昨夜21時から、今回の火砕流でやけどを負った患者が収容されてい

る島原温泉病院の視察及び長崎大学病院との連絡員の使命を帯びて、重症者を

転送してきた救急車の帰りの便に乗って島原に入った。

  島原半島の入口の町、愛野からは交通規制で一般車は通れない。途中の消

防署では、パトカーの中で黒こげになっている警官が発見されたとの報に接し

た。市内の中心部から南に進むにつれ、道路や自動車の屋根に積もった火山灰

が厚くなる。

  島原温泉病院の玄関には既に多くの人が群れていた。病院には当初10人

程度の患者が収容されたが、今残っているのは5人である。摂氏500度とも

言われる熱風にさらされた人々。原爆の爆風を受けた人達はたぶんこうだった

のだろうと思わせる、見たことのない病状。私はこの5人の治療方針に対する

助言と処置、さらには重症度の判定、転送する患者の「選別」までもしなけれ

ばならないのだった。患者のひとりとともに、私は救急車で再び長崎に帰って

きた。私が病院で走り回っていたころ、最大の火砕流が起きたという。

できれば克明なレポートをしたいのですが、忙しくなるので続報は無理かも

しれません。

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103/210 xxx01234   火砕流災害の医療活動 第2報

( 6) 91/06/09 00:59

雲仙の普賢岳火砕流災害の医療活動報告 第2報です。

 災害から5日、私が島原温泉病院で見た5人の患者さんのうち4人は既に死

亡され、現在も生死の境にいるのは7人です。長崎大学病院には私が連れてき

た人も含めて5人が入院しています。うち1人だけがどうやら助かる見込みが

出てきました。この1週間は非常に長く感じましたが、今日あたりからがほん

とうの正念場です。

 せっかくこの会議室ですので、この1週間に我々の目に映ったマスコミの様

子を書くことにします。

・発生直後

 最初のうちはわれわれの病院への収容人数や名前の確認の電話がほとんどで

した。しかし、中には日本経済新聞からの電話のように、「うちの○○がそち

らに入院していませんでしょうか」などという、自社の行方不明者の問い合わ

せも交じっていました。我々は医局に「災害対策本部長」を一人常駐させて、

情報の収集や電話の応対に充てていましたので、すべてに丁寧な対応ができま

した。

・病状問い合わせ

 一夜明けて患者別の収容施設がテレビなどで放送されると、彼等の病状の問

い合わせが相次ぎました。特に職員が入院しているNHKからの電話が目立ち

ます。その電話に出ていて気づいたのですが、どこの報道機関も「重体」とい

うだけでは満足せず、やたらと「意識」にこだわるのです。「意識不明の重

体」という表現を使いたいのでしょう。「気管内挿管や気管切開をしているの

で声も出せず、鎮静剤で意識レベルを落としているのではっきり答えられな

い」と説明してもなかなか納得しないので閉口しました。某読売新聞などは、

真夜中に病棟に電話したうえ、「今は主治医がいないので明日にして」と言う

看護婦相手に「当直医を出せ」などと粘ったとかで、関係者に悪名を轟かせて

います。

 さすがに電話の応対にも飽きた我々は、問い合わせごとにばらばらの応対を

してはいけないという目的もあって、1日1回各人の病状を県の災害対策本部

にFAXで送り、問い合わせはそちらに押し付けるというずるい手段を考え付

きました。「○○○○ (90%) 重体ながら小康状態、意識有り、開眼可

能」といったふうです。

・拍子抜け

 島原温泉病院を初めとした重症者の死亡が相次ぎ、重症者の残るのは我々の

大学と国立長崎中央病院のみとなりました。しかし「集中治療部へ通じる廊下

にカメラの放列が出来るのでは」との我々の予想に反してマスコミの訪問はほ

とんどなく、気が楽な半面、「毎日教授に記者会見をさせて形成外科の啓蒙に

役立てよう」というわれわれ若手の目論みもはずれました。マスコミの報道は

連日死亡者の身元確認の話題のみで、死線上で闘っている生存者についてはほ

とんど触れないのが不思議ではあります。患者の一人がNHKの職員であるた

め、NHKが他の報道機関の病院訪問をおさえているのではという穿った見方

も出るほど、病院にマスコミ関係者の姿はありません。

 そういえば、集中治療部へ通じる廊下に、ひとりだけビジネスマン風の男性

が座っています。どうやら交代制のようで顔はいつも異なります。彼等は24

時間そこに詰めているようです。座っている椅子の傍らにはショルダータイプ

の携帯電話が置いてあります。たぶんNHKの職員だと思うのですが、ご苦労

なことです。しかし彼の電話が活躍するのは、果してどんな時でしょうか。

・そして……

 8日午後、われわれの医局である方針決定が行われ、それに基づいて3家族

に説明されました。事態の推移は予測できませんが、マスコミはどう対応する

でしょうか。これについては文章をあらためて書きます。

xxx01234 CRES

104/210 xxx01234   火砕流災害の医療活動 第3報

( 6) 91/06/09 01:00 コメント数:3

雲仙の普賢岳火砕流災害の医療活動報告 第3報です。

 災害から5日、長崎大学病院には5人が入院しています。うち1人だけがど

うやら助かる見込みが出てきました。1人はきょう危篤状態になりました。

 問題は残りの3人です。いずれも面積90%以上の深い熱傷で、救命は非常

に困難ですが、今日われわれは積極的な皮膚移植手術で救命を図るという方針

を決定しました。しかし本人には焼けていない皮膚がほとんどないため、他人

の皮膚を移植するのが最良の道です。SKIN BANKの制度があればよいのです

が、日本にはそれがありません。各方面に呼びかけて死体の皮膚をもらいたい

ところですが、そうすると脳死問題と混同して騒ぐ人がいて事態がややこしく

なるのだそうです(皮膚は死後に採取すればよいので脳死などの問題はないの

ですが……)。そこで、家族などから皮膚の提供者を募ることにしました。し

かしこれとて容易ではありません。患者が救命できる見込みは非常に少ないの

に、そのわずかな望みのために健康な人を傷つけねばならないのです。

 このような時に、マスコミがうまく動いてくれて、スキンバンク設立への道

がつけられるか、そこまで行かなくても死体皮膚をスムーズに集めることが出

来ればと思います。サハリンのコンスタンチン君の時のような熱意がマスコミ

にあれば、島原の3人のやけど患者の見通しも少しは明るくなるのですが、残

念なことに患者の中にかわいい子供はいません。

 スキンバンクは骨髄バンクよりは簡単な道だと思いますが、このようなチャ

ンスをうまく生かさねば、なかなか確立できないと思います。はたして、どう

なりますやら。

 今日また火砕流が起こりました。これ以上重症熱傷患者を受け入れるには

我々には専門医の数はともかく人手と設備が不足です。ICUは9室あるのに

看護婦さんが4室分しか配置されていないので残りの5室は倉庫になっていま

す。我々は人工呼吸器も、心電図モニターも、動脈圧トランスデューサも病院

じゅうからかき集めた借り物、輸液ポンプも不足しているので医者を常に一人

はりつけて輸液管理をしています。

 つぎの火砕流で重症熱傷患者が出る前に、スタッフと機械を補充してもらい

たいものです。無理な注文ではないと思いますが。こんな陳情をしようと思っ

ても偉い人は視察に来ないんですよ、病院には。

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116/210 xxx01234   島原保健所の件

( 6) 91/06/21 00:29 109へのコメント

 こんにちは。この1週間ほどアクセスしませんでした。実は島原で大変な

長崎を離れて四国松山へ転勤したもので。

 さて、6月3日に島原の保健所が何をしていたかは、私には詳しくわかり

ませんが、一つだけはっきりしていることがあります。私ども長崎大学の

形成外科に火砕流による熱傷患者の治療について、最初に問い合わせてきた、

また重症患者が出たことを最初に知らせてきたのが、ほかならぬ島原の保健

所なのです。

 我々への保健所からの第1報は17時40分ごろ、「島原温泉病院に多数

の重症熱傷患者が来たらしいが、そちらで受け入れる体制があるか」という

内容だったようです。それを聞いて我々の方から温泉病院に電話して状況を

尋ね、受け入れ体制を作る準備に入りました。

 普通なら温泉病院の方から問いあわせがあってよさそうですが、温泉病院

の方も目の前の患者の処置で手一杯で電話どころではなかったのでしょう。

火砕流が起きたのが16時20分、島原温泉病院に患者が搬送されはじめた

のが16時40分ころでしょうか。それから1時間くらい大騒ぎで電話もで

きないというのは、充分想像できます。保健所からの連絡がなければ、我々

が患者発生状況を知るのはもっと遅れたと思います。

xxx01234 CRES

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