ゲームが子供の心に与える影響とは

2003/9/16


あるメーリングリストで、小学生のお子さんの質問に回答を寄せてほしいとの依頼がありました。ゲームマニアの私としては、これは見過ごせないということで、締め切りの迫った仕事もそっちのけで書いてしまいました。いわゆる「渾身の書き下ろし」というやつです。
 この程度で渾身かと笑われそうですが、最近になく頑張ったのは確かなので公開します。小学生向けと大人向けを併記しましたので、ゲームの取扱説明書みたいになっています(笑)。Web用に一部改訂しました。いただいた質問は次のようなものでした。
 
○「ゲームで心がゆがむ」と本には書いてあるが、それ以上のことが書かれていない。心が「ゆがむ」とはどのようなことですか?
 
○ゲームをしていて体(心)に与える影響はどのようなものがありますか?
 
○お医者さんの立場からみると、ゲームはどのようなものですか?
 

 まずここでの「ゲーム」とは家庭用テレビゲーム機、携帯ゲーム機、ゲームセンターで遊べるゲームを指していると思い、その範囲の話をします。
 私はこの道の学問的専門家ではありませんが、中学以来のゲーム好きで、一部のゲーム専門Webサイトに寄稿したりもしています。またゲームが目的ではありませんが、IT化病院のすべてのベッドに端末としてテレビゲーム機を設置するという研究を大まじめでやっている者です。
 小学生にわかるように書けたか自信がないのですが、適宜かみ砕いてあげて下さい。いわゆるエビデンスに乏しい文で申し訳ないです。
 

○ 心が「ゆがむ」とはどういうことですか

 人は心の中にいろんな気持ちが起きることがあります。うれしい気持ち、悲しい気持ち、怒った気持ち、好き、嫌いなどたくさんあります。時によって違いますよね。心が「ゆがむ」というのは、たとえば、いつも心の中が怒った気持ちや嫌いな気持ちばかりになってしまうことだと思います。
 
 いまのゲームは、コンピュータ技術の進歩で、画面の中に本物とまちがうほどの絵と音を出すことができます。また、クリアするのに何十時間もかかるゲームが増え、何時間も熱中してゲームを続けることができるようになっています。
 しかし、ゲームをしていると、目で見て指でボタンを押すといった人間の体のごく一部を使うだけです。また、ひとりで遊ぶゲームが多く、何人もで一緒に楽しく遊べるゲームはほとんどありません。
 ゲームの中では、ビルの屋上から屋上へジャンプしたり、敵に火の玉を発射したりと、ふだんの自分ができないことができてしまうことが多いですね。怪物を武器で殺したりするゲームも多くあります。こうして、現実の世界では決してできないことができるのが、ゲームの楽しみのひとつです。
 このような作られた絵を何時間も続けて見て、ゲームの主人公などを自分で動かしていると、自分がゲームの世界の中に「入り込んだような」気がしてきます。
 
 こどもが成長していく間には、まわりの人やものとのあいだで、「目で見て、耳で聞いて、鼻でにおいを感じて、舌で味わって、さわって、走って、話して」というふうに、体のいろんな場所を使ってかかわることで、心ができあがっていくのだと思います。たとえば、ひとりで家の中でゲームをするより、晴れた日に公園の砂場でだれかと砂の山を作る方が、ずっと体のたくさんの場所を使います。ゲームでは画面の中でおもに目と手を使うだけです。
 また、お話の本を読むと、頭の中にいろんな景色や人の顔などを思い浮かべることができます。でもゲームでは、頭で思い浮かべなくても、とんでもない世界を目の前で見ることができます。ゲームばかりしていると、この「思い浮かべる力」、想像力が弱ってしまうと思います。
 ゲームばかりしていると、現実の世界ではできないことが、自分にはできてしまうような気がしてくることもあると思います。車のたくさん通る道を渡ろうとしても、車の横をすばやくすり抜けたり、車の屋根の上を飛び越えて渡れるような気がしてくるのではないでしょうか。本当にそんなことをしたら、車にひかれて死んでしまいます。ゲームの中では死んでもやり直せますが、現実はそうではありません。
 
 草や木を育てるときには、水や肥料をやって、太陽の光にあてるとうまく育ちます。多すぎても少なすぎてもいけません。暗いところに閉じこめて、水ばかりをたくさんかけるとどうなるでしょう。
 こどもの心は育っていく途中です。まだ十分できあがっていないので、このような「ゲームに入り込んだ感じ」ばかりを長く続けることは、草木を暗いところに置いて、水ばかりをたくさんかけることに似ています。そして、心が「ゆがんで」いくのだと思います。
 

■保護者の方へ

 「仮想現実感への異常な没入で実社会と区別がつかなくなる」これはよく言われることですが、にわかに信じがたいことでもあります。でも笑える実体験があります。かつてアフターバーナーという、ジェット戦闘機を操るゲームがありました。なかなか難しいゲームでしたが、ある日かなり100円玉をつぎ込んだあげく、ついにエンディングを迎えることができました。
 えも言われぬ満足感を胸に、車を運転して帰宅していたのですが、車の燃料が少なくなったことを示すランプの点灯とともに警告音が「ピピッ」と鳴った瞬間、運転中の私の右手親指が反応して動いてしまいました。
 実はこのゲーム、右手で操縦桿を握り、人差し指でバルカン砲、親指でミサイルを撃つようになっています。敵機に照準を合わせると「ロックオン」の状態になり、「ピピッ」という音が鳴ります。私は1時間以上、この音がした瞬間親指でミサイルを発射していたわけです。車の警告音がまさにその音でした。
 これは15年以上前の話ですが、今どきのゲームなら、背後で「ギギーッ」とドアがきしむ音がしたとたん、素早く振り返って手に持った傘を振り下ろしたりしないかと心配してしまいます。そこまでいかなくても、自動車レースゲームの直後に公道で車の運転をしないように注意しています。
 

○ゲームをしていて体(心)に与える影響はどのようなものがありますか?

 心への影響は前に書いたので、体への影響を書きます。近くばかりを見ているので目が悪くなると言われてます。目と手と頭ばかりを使うので、そこだけが疲れます。布団に入っても頭の中にゲームの画面が出てきて夜眠れなくなったりする子もいるでしょう。体を動かさないので、肥満や糖尿病(とうにょうびょう)など運動不足から起こる病気になりやすいと言われています。
 

○お医者さんの立場からみると、ゲームはどのようなものですか?

 ゲームは楽しいものです。医者をしていると、何ヶ月も病院に入院しなければならないこどもたちに会うことがあります。そのようなこどもたちは、外で遊ぶわけにもいかないので、ゲームが心を豊かにしてくれることもあると思っています。
 しかし、いまお店にあるゲームの中には、こどもには良くないと思うものがたくさんあり、家でこどもたちに遊んでほしいと思う良いゲームを見つけることは、たいへんむずかしいです。
 こどもたちには、ゲームを始めるならせめて中学2,3年になってからにすることをすすめます。高校、大学とおそければおそいほどよいでしょう。大学生くらいになったら、ときどきゲームに熱中するのも良いことだと思います。
 
 私はゲームが好きです。でも熱中するようになったのは中学2年生くらいからです。その前にはほとんどゲームがありませんでした。私は小学生のころにゲームがなくて幸せだったと思います。小学生までのこどもは、ゲーム以外の遊びに時間を使う方がよいと思います。
 

■保護者の方へ

「ゲーム脳」という概念を発表した研究や、残虐な少年犯罪の容疑者が直前にテレビゲームを続けていたとの事例以来、ゲームがこどもの脳にどのような影響を与えるかについての関心が高まりました。日本でも今後本腰をいれて研究されるものと思います。私はゲームが子供に与える悪影響について、今のところは黒とは言えないまでも濃い灰色だと思っています。
 
 余談になりますが、バーチャルリアリティも脳に対してきっと有害に違いないと感じています。私は元々外科医で顕微鏡や内視鏡で手術をすることもありましたが、目は顕微鏡型モニター、手は操作レバーでという手術も既に現実になってきました。CTなどの画像をモニター画面に重ね合わせるシステムもできています。私は仕事で毎日そういう手術をせずにすんでよかったと思います。
 
 医療分野でのゲームの効用については、
・一部の体を使うゲームが肥満解消や成人病予防の運動負荷に役立つとか
・一部のゲームが脳血管疾患をもつお年寄りのリハビリに有効であるとか
・一部のゲームで脳や視覚認知の機能を高めることができるとか
いうエビデンスに乏しい情報はあり、今後に期待したいところです。
 
 私が考える大人のための良いゲームとは、いわばインタラクティブな長編映画だと思います。映画館の3倍の料金で(細切れではありますが)8時間とか12時間を飽きさせず、映画以上の感情移入ができれば「買い」だと思います。最近の長編ゲームは20とか40時間かかるのが多くて困りものです。
 
 ちなみに、(日本の)我が家の自室にも家庭用ゲーム機が数種あり、棚にはゲームソフトが積み重なっていますが、子供には触らせませんし子供のいるときに灯を入れることは決してありません。家で楽しめるのは、夏休みなどで妻子が妻の実家に行くときなどに限られます。出発前に小学生の娘から「ゲームばかりしてちゃダメよ」とクギを刺されます。
 
おまけ いつも主張してるゲームの効用です。大学生の頃の話です。
 
 今日こそはあのゲームを征服してやると、千円札一枚を握りしめてゲームセンターに行きます。途中で惜しいところまで行くこともあったのですが、8回、9回やってもじり貧でだめ。目と手も疲れ、とても今日は無理だということで帰ろうかなと考えます。しかしそこで気を取り直して心を落ち着け、最後の100円玉を持ちゲームに立ち向かいます。そのような極限状況の中、無の境地でプレイできたときこそ、不思議と困難なゲームはクリアできるのです……。
 「自分は少年時代から、このように土壇場で最高の力を発揮する訓練を積んでいるので、仕事でも原稿でも間際にならないと良い結果を出せないのだ…」と言い訳しては笑い者になっています。

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