・はじめに
私は、2月のうち3週間池島鉱業所病院勤務となりこの島の土を踏んだ。・池島への道
長崎市から車で1時間、「長崎オランダ村」から山を越えた反対側に池島行きの船が出る港がある。西日本沿岸商船のフェリーボートに乗って40分ほどで島につく。このフェリー、乗用車8台程度しか積めない小さなもので、シケの日に港に近づいてくる様子は子犬が跳ねているようである。しかしこの小さな船も、土曜日夕方の最終便は軽自動車を含めて18台くらいは詰め込んでしまう。車同士の間隔は前後左右すべて5cm、車から降りることもできない。もうひとつ、江崎海陸運送の船が車を運ぶ。こちらは運賃がやや安いが、「運送」の名のとおり旅客には保険が掛かっていない。海賊船と呼ぶ島の人もいる。こちらは港の「はしけ」という感じで、海が荒れると飛沫がまともにふりかかる。船がつくと島でただ1台の中型バスが待っている。いったいこのバスがあの船で運べたのだろうか。バスは乗降時間も入れて10分もあれば社宅街のはずれの終点に着く。歩いても15分程度である。・池島の風景
島と言っても海に浮かぶ工場といった感じのする風景である。かつて「軍艦島」と呼ばれた同じ炭鉱の島である端島(15年昔に閉山)程ではないが。島の平地の2/5が貯炭場や鉱業所の施設、2/5がアパート群、残りが他の民家という構成で、まとまった草木は公園と丘の斜面に生えている程度。主要な道路以外はコンクリート舗装で幅1.8mに過ぎない。従って交差点を路肩に脱輪しないで曲がるのは熟練を要し、2台の車がまともにすれちがうこともできない。しかし島を出ると交通の便が悪いので島内の車の数は多い。血の気の多い若者の保有率も高いらしく、週末にはアルミホイールに幅広タイヤをつけたフルホ ワイトのクレスタやレパードといった車が1周2.7kmの周回道路をフルスピードで港へ向かう姿をよく見かける。アパートは昭和30〜40年代のもので60棟ほど建っている。4,5階建てがほとんどだが8階建ての高層タイプもある。夜遅くこれらアパートの谷間を歩くと変な雰囲気を味わえる。吹きわたる風の音と24時間動き続ける鉱業所のモーターのウーンという低い音が遠くから響いてくる以外、音というものがない。周りにはアパートの階段の踊り場にともる、古めかしい白熱灯のくすんだ光が点々とついている。この雰囲気をどう伝えればよいのか。何人かにたずねたが、「昔あったアニメの『未来少年コナン』に出てきそうな街」というのが辛うじてふさわしい。・池島の水、蒸気、風呂
池島は海のまん中の小島で、島いっぱいに建物が立っているので貯水池などありはしない。そこで水はどうするのかというと、海水を蒸留して真水に変えるプラントがある。当然できたての真水は温度が高い。そしてみんなが水を使う朝夕には冷却が不十分なまま配水される。だから池島の水は何か味気なく、冬でもなまぬるい。蒸留の中途でできる蒸気が、暖房や湯沸しなどのエネルギー源として島中にはり めぐらしてある。島のあちこちの側溝から湯気が立ちのぼって、さながら温泉町の風情である。島の人々の多くは共同浴場を利用しているが、管理職以上は風呂付きの社宅に住めるらしい。私の社宅にも風呂があった。・池島のくらし
島でのはじめての夜、けたたましいサイレンの音で目を覚ました。時計を見ると午前4時。なんと時報である。朝4〜7時と12時、21時などにこのサイレンは鳴る。炭坑は1番方(いちばんかた)から3番方の3交替となっており、サイレンはこのリズムに合っているらしい。体というのはうまくできたもので、島に慣れてくるとこのサイレンでは目を覚まさなくなる。池島には大きな店としては、スーパーマーケットが1つと、食料品市場が1つあるきりである。しかしこのスーパーがすごい。1フロアで大した面積もないのに、坑内で使うスコップやヘルメットから食料品、日用品、衣料品、書籍、電化製品、レコー ド、果てはレーザーディスクのソフトまで売っている。またビデオレンタルもある。各々の店頭在庫は少ないが、種類は豊富でまず生活に不自由はない。島には娯楽が少ないと思われがちだが、ボーリング場(5レーン)、ゴルフの打ちっぱなし、卓球場などはあり、ビリヤードもできるらしい。そのほか、エアロビクス教室など、こんな島のどこにあるのかという感じである。飲み屋やスナックの類は多いが、不思議と喫茶店は1つも見かけない。島の真ん中には小学校と中学校があり、広いグラウンドと2つの体育館をもち、放課後はいつも多くの子供たちが遊んでいる。島には寄り道すべき商店街やゲームセンターなどがないので、放課後は島のあちこちで子供の遊ぶ姿がみられる。こんな事情のためか、島の子供はみな素朴でかわいい。島の女性は結婚・出産の年齢が低く、子供の数も多い。3人や4人兄弟の世帯がよくみられる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−3週間の池島生活の間に、1度だけ長崎の大学病院に顔を出す機会があった。普段と違う私の平和で明るい表情に、皆は一様に驚いていた。池島は、時の進むスピードが他とは異なるのではないかと思うほど平穏な、しかし一種異様な島である。
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