・はじめに

私は、2月のうち3週間池島鉱業所病院勤務となりこの島の土を踏んだ。
 池島は長崎県の近海に浮かぶ周囲4キロの小島である。このちっぽけな島に、減少したとはいえ約6000人が暮らしている。なぜかというとこの島は日本有数の良質な石炭を産出するからである。露天掘りさえある海外炭に対して、地下の奥深くから掘る日本の石炭はコストの面でとても太刀打ちできない(池島でも採炭は島から何キロも離れた海底で行なわれており、地表から1時間以上降りて行かねばならない) 。かくて日本の炭鉱は次々と閉山し、その数は両手の指にも足りない。池島は日本の炭鉱の中でも赤字が少ない部類で、おそらく最後まで残るであろうと言われる。しかし、いつ閉山話が具体化してもおかしくない状態とも考えられる。

・池島への道

 長崎市から車で1時間、「長崎オランダ村」から山を越えた反対側に池島行きの船が出る港がある。西日本沿岸商船のフェリーボートに乗って40分ほどで島につく。このフェリー、乗用車8台程度しか積めない小さなもので、シケの日に港に近づいてくる様子は子犬が跳ねているようである。しかしこの小さな船も、土曜日夕方の最終便は軽自動車を含めて18台くらいは詰め込んでしまう。車同士の間隔は前後左右すべて5cm、車から降りることもできない。もうひとつ、江崎海陸運送の船が車を運ぶ。こちらは運賃がやや安いが、「運送」の名のとおり旅客には保険が掛かっていない。海賊船と呼ぶ島の人もいる。こちらは港の「はしけ」という感じで、海が荒れると飛沫がまともにふりかかる。船がつくと島でただ1台の中型バスが待っている。いったいこのバスがあの船で運べたのだろうか。バスは乗降時間も入れて10分もあれば社宅街のはずれの終点に着く。歩いても15分程度である。

・池島の風景

 島と言っても海に浮かぶ工場といった感じのする風景である。かつて「軍艦島」と呼ばれた同じ炭鉱の島である端島(15年昔に閉山)程ではないが。島の平地の2/5が貯炭場や鉱業所の施設、2/5がアパート群、残りが他の民家という構成で、まとまった草木は公園と丘の斜面に生えている程度。主要な道路以外はコンクリート舗装で幅1.8mに過ぎない。従って交差点を路肩に脱輪しないで曲がるのは熟練を要し、2台の車がまともにすれちがうこともできない。しかし島を出ると交通の便が悪いので島内の車の数は多い。血の気の多い若者の保有率も高いらしく、週末にはアルミホイールに幅広タイヤをつけたフルホ ワイトのクレスタやレパードといった車が1周2.7kmの周回道路をフルスピードで港へ向かう姿をよく見かける。アパートは昭和30〜40年代のもので60棟ほど建っている。4,5階建てがほとんどだが8階建ての高層タイプもある。夜遅くこれらアパートの谷間を歩くと変な雰囲気を味わえる。吹きわたる風の音と24時間動き続ける鉱業所のモーターのウーンという低い音が遠くから響いてくる以外、音というものがない。周りにはアパートの階段の踊り場にともる、古めかしい白熱灯のくすんだ光が点々とついている。この雰囲気をどう伝えればよいのか。何人かにたずねたが、「昔あったアニメの『未来少年コナン』に出てきそうな街」というのが辛うじてふさわしい。

・池島の水、蒸気、風呂

 池島は海のまん中の小島で、島いっぱいに建物が立っているので貯水池などありはしない。そこで水はどうするのかというと、海水を蒸留して真水に変えるプラントがある。当然できたての真水は温度が高い。そしてみんなが水を使う朝夕には冷却が不十分なまま配水される。だから池島の水は何か味気なく、冬でもなまぬるい。蒸留の中途でできる蒸気が、暖房や湯沸しなどのエネルギー源として島中にはり めぐらしてある。島のあちこちの側溝から湯気が立ちのぼって、さながら温泉町の風情である。島の人々の多くは共同浴場を利用しているが、管理職以上は風呂付きの社宅に住めるらしい。私の社宅にも風呂があった。

 壁から水道管程度の太さのパイプが浴槽の中にのびている。ここから蒸気が出るのである。初めて使う日、浴槽に水を張ってバルブを少しひねると、地響きのような振動が手に伝わってくる。びっくりしてバルブを閉めた。なんという風呂だ。気を取り直して、エイッとバルブを回すと、火山の噴火口から蒸気が吹き出しているようなゴーッというすさまじい音とともに水中に蒸気が出てくる。思わず浴室 から逃げだしてしまった。蒸気といっても水中に出る時は熱水となっているので泡などは出ない。水から熱めのお湯になるのにわずか5分。壁ぎわのパイプに水滴を落としてみると、「シュッ」という音をたてて一瞬に蒸発してしまう。かなりの高温だ。蒸気だとはわかっていても、餅でも焼けそうな気がする。湯につかっているときに考えた。いまパイプが破れて蒸気が吹き出そうものなら顔面おおやけどであろう 、と。

・池島のくらし

 島でのはじめての夜、けたたましいサイレンの音で目を覚ました。時計を見ると午前4時。なんと時報である。朝4〜7時と12時、21時などにこのサイレンは鳴る。炭坑は1番方(いちばんかた)から3番方の3交替となっており、サイレンはこのリズムに合っているらしい。体というのはうまくできたもので、島に慣れてくるとこのサイレンでは目を覚まさなくなる。池島には大きな店としては、スーパーマーケットが1つと、食料品市場が1つあるきりである。しかしこのスーパーがすごい。1フロアで大した面積もないのに、坑内で使うスコップやヘルメットから食料品、日用品、衣料品、書籍、電化製品、レコー ド、果てはレーザーディスクのソフトまで売っている。またビデオレンタルもある。各々の店頭在庫は少ないが、種類は豊富でまず生活に不自由はない。島には娯楽が少ないと思われがちだが、ボーリング場(5レーン)、ゴルフの打ちっぱなし、卓球場などはあり、ビリヤードもできるらしい。そのほか、エアロビクス教室など、こんな島のどこにあるのかという感じである。飲み屋やスナックの類は多いが、不思議と喫茶店は1つも見かけない。島の真ん中には小学校と中学校があり、広いグラウンドと2つの体育館をもち、放課後はいつも多くの子供たちが遊んでいる。島には寄り道すべき商店街やゲームセンターなどがないので、放課後は島のあちこちで子供の遊ぶ姿がみられる。こんな事情のためか、島の子供はみな素朴でかわいい。

 島の女性は結婚・出産の年齢が低く、子供の数も多い。3人や4人兄弟の世帯がよくみられる。

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(一見高校生風の女性が病院を訪れた。)
患者:腕のできものが化膿したんですけど。
医者:いつからそんなに化膿するようになったんです?
患者:子供を生んでからです。
(医者は心の中で「えっ」と叫び、平静を装いつつカルテを見直す。)
(「十九才、〇〇の妻だと?」)
医者:お子さんはいくつですか。
患者:1才3カ月です。
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22才というと売れ残りの部類。26才程度ではもう島内結婚の望みは少なく、島を出る人が多いようである。

 3週間の池島生活の間に、1度だけ長崎の大学病院に顔を出す機会があった。普段と違う私の平和で明るい表情に、皆は一様に驚いていた。池島は、時の進むスピードが他とは異なるのではないかと思うほど平穏な、しかし一種異様な島である。

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